村上春樹について(2)
「スプートニクの恋人」は、完璧な文章で書かれた記念碑的作品である。
『22歳の春にすみれは生まれて初めて恋に落ちた。』で始まるが、前書きにスプートニクの説明をしている。
【1957年10月4日、ソヴィエト連邦はカザフ共和国にあるバイコヌール宇宙基地から世界初の人工衛星スプートニク1号を打ち上げた。・・・・翌月3日にはライカ犬を乗せたスプートニク2号の打ち上げにも成功した。・・衛星は回収されず宇宙における生物研究の犠牲となった。】ひとこと付け加えるとライカ犬は、雌犬であった。
そして小説のあらすじは、つぎの(『・・・』で本文を引用)ものである。
『時差のもたらす奇妙なしびれのようなものが頭の中心にあった。・・・このギリシャの島で、昨日初めて会ったばかりの美しい年上の女性と二人で朝食をとっている。 この女性はすみれを愛している。しかし性欲を感じることができない。 すみれはこの女性を愛し、しかも性欲を感じている。 ぼくはすみれを愛し、性欲を感じている。 すみれはぼくを好きであるけれど、愛してはいないし、性欲を感じていない。 ぼくは別の匿名の女性に性欲を感じることはできる。しかし愛してはいない。
とても入り組んでいる。まるで実存主義演劇の筋みたいだ。すべてのものごとはそこで行きどまりになっていて、誰もどこにも行けない。選ぶべき選択肢がない。そしてすみれがひとりで舞台から消えた。(179~180頁)』
ぼくは小学校の教員であり、すみれは大学の後輩で、まだ小説を書いてない作家である。『すみれは茅ヶ崎で生まれた。父親は、非常にハンサムな人で、とくに鼻筋は「白い恐怖」の頃のグレゴリー・ペックを髣髴させた・・・すみれはその鼻を受け継いでいない。母親が死んだとき、すみれはまだ3歳にもなっていなかった。・・・すみれが6歳の時に父親は再婚し、2年後に弟が生まれた。(14頁)』
すみれが愛した女性・ミュウは、韓国籍で日本育ちである。ピアニストであった。 『わたしがピアノのために犠牲にしてきたのはいろいろ(、、、、)な(、)こと(、、)なんかじゃない。あらゆる(、、、、)こと(、、)よ。あたしの成長過程に含まれたことのすべて、ピアノはわたしに、わたしの肉や血をまるごと、供物として要求していたし、それに対してわたしはノーと言うことはできなかった。ただの一度も(71頁)』
しかし、スイスの小さな町に住んでいた頃に、自己幻視(自分の身体を外界に第二の身体として認める現象)ともいえる体験(夕方にたまたま自宅の近くにある遊園地に出かけ、一人乗った観覧車が最上部でとまってしまう。強い不安に襲われる。そこから双眼鏡で自分のマンションを覗くと、交際を断った男に自分が暴力を受ける場面を見る)に出会った。 そのショックから、ピアノを演奏しなくなり、性的にも誰も受けつけなくなった。その後に父親の貿易会社を継いだ。すみれはミュウの仕事を手伝うようになって、ミュウに惹かれていく心をぼくに語る。
『「・・・枠組みがいっぺんに取り払われてしまったような頼りなさ。引力の絆もなく、真っ暗な宇宙の空間をひとりぼっちで流されているような気持ち。・・・」 「迷子になったスプートニクみたいに?」「そうかもしれない」 「でも君にはミュウがいる」とぼくは言った。 「今のところ」とすみれは言った。(94頁)』
ミュウとすみれがギリシャの島で過ごしたバカンスの描写は、美しい。
『わたしたちは朝早く起きて、タオルと本と日焼け止めをバッグに入れ、やまの向こう側にあるビーチまで泳いだ。息をのむほど美しい海岸なの。砂浜はまじりっけなしの真っ白で、波もほとんどない。・・・・特に昼前は人影もまばらだった。生まれたままの裸で真っ青に澄み切った海を泳ぐのはたとえようもなく素晴らしい気分だった。・・・・・おたがいに背中に日焼け止めのクリームを塗りあって、太陽の下で横になって、本を読んだりまどろんだり、あるいはとりとめのない話をした。自由というものはこんなにも安らかなものなんだと思った。(147頁)』
数日後、すみれは、ミュウに愛を告げ、拒否され、スプートニクのライカ犬のように忽然と消える。ぼくは、ミュウに頼まれ、ギリシャに来たが、すみれとは出会えない。
『人にはそれぞれ、あるとくべつな年代にしか手にすることが出来ないとくべつなものがある。それはささやかな炎のようなものだ。注意深く幸運な人はそれを大事に保ち、大きく育て、松明としてかざして生きていくことができる。でもひとたび失われてしまえば、その炎はもう永遠に取り戻せない。ぼくがうしなったのはすみれだけではなかった。ぼくはその貴重な炎までをも失ってしまったのだ。(262頁)』
『ぼくは「あちら側」の世界のことを思った。たぶんそこにはすみれがいて、失われた側のミュウがいる。・・・そこにはぼくの居場所はあるのだろうか?そこでぼくは、彼女たちとともにいることができるのだろうか?・・・(262頁)』
ぼくは、日本に帰る前夜、海辺の岩場で、空を見あげて考える。 『どうしてみんな孤独にならなくてはならないのだろうか。・・・この惑星は人々の寂寥を滋養として回転を続けているのか。・・・。目に見える星たちはどれも釘で打ちつけられたみたいに、同じひとつの場所にじっと留まっていた。ぼくは眼を閉じ、耳を澄ませ、地球の引力を唯ひとつの絆として天空を通過しつづけているスプートニクの末裔たちのことを思った。彼らは孤独な金属の塊として、さえぎるものもない宇宙の暗黒の中でふとめぐりあい、すれ違い、そして永遠に別れていくのだ。かわす言葉もなく、結ぶ約束もなく。(264頁)』ぼくは、心を満たすものがなく、ものさみしいまま、教師の仕事に戻っていく。
作者は、【現代は、イルージョン(幻想)ファンタジー(夢想)リアリティ(現実)が渾然として、確かなものや安全なものは何ひとつない。生活には、自由の安らかさと荒涼とした寂寥とが共存し、ただ出会いと別れがあるだけだ。】と言いたいのだ。
この作品は1999年刊行された。‘95年1月17日の阪神淡路大震災、3月20日のオウム真理教による地下鉄サリン事件は、多くの日本人に心の傷を残し、PTSD(外傷後ストレス障害)と心のケアを身近なものにさせた。村上春樹は、アメリカで暮らしていた時に知る。作家の想像力が肥大化して、彼は打ちのめされ、誰よりも深く傷ついたに違いない。
【村上春樹、河合隼雄に会いにいく(’96年・岩波書店刊)】の因果律をこえてのテーマの章に、作家として再出発する覚悟を読み取れる。
- 村上:
- あの源氏物語の中にある超自然性というのは、現実の一部として存在したものなのでしょうかね。
- 河合:
- どういう超自然性ですか?
- 村上:
- つまり怨霊とか・・・。
- 河合:
- あんなのは全く現実だと僕は思います。
- 村上:
- 物語の装置としてではなく、もう完全に現実の一部としてあった?
- 河合:
- ええ、もう全部あったことだと思います。・・・・・・・・
- 村上:
- 紫式部は何のためにあれ(源氏物語)を書いたのでしょう・・・・
- 河合:
- ・・・自分を癒すためでしょう・・・・・
村上春樹は、この作品を自己の癒しとして書いた。この作品は、2002年『海辺のカフカ』、2009年『1Q84』と源氏絵巻にも似た現代の物語の「序章」として位置づけられるものではないか。(この項続く)