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院長コラム

2015-10-23

院長メッセージ(27)中原中也(1)山羊の歌

yogore

汚れっちまった悲しみに・・・・

汚れっちまった悲しみに 今日も小雪の降りかかる
汚れっちまった悲しみに 今日も風さえ吹きすぎる
汚れっちまった悲しみは たとえば狐の革裘(かわごろも)
汚れっちまった悲しみは 小雪のかかってちぢこまる
汚れっちまった悲しみは なにのぞむなくねがふなく
汚れっちまった悲しみは 倦怠(けだい)のうちに死を夢(ゆめ)む
汚れっちまった悲しみに いたいたしくも怖氣(おじけ)づき
汚れっちまった悲しみに なすところもなく日は暮れる……

この有名な詩は、題の汚れっちまった悲しみに・・・と最終行の為すところもなく日は暮れる・・・と書式が対応している。これは、詩の題と第一行がリフレンされて汚れちまった悲しみを強調しているだけでなく、詩を繰り返して読めるようにしている。題をゆっくり読み、ひと呼吸をおいて、読み始めると悲しみを強調する効果がはっきりする。声に出して読むとさらに印象的になる作品である。

汚れっちまった悲しみとは何か?悲しみに小雪が降る積み、消し去るもではなく降りかかるのである。また風が吹き消すのではなく吹きすぎるのである。だれもが忘れられない、消せない深い悲しみを暗示している。

第2連で、たとえばと転調して、狐の革裘(かわかわごろも)、小雪にちぢこまると続くと狐の毛皮を意味している。昭和初期には、大変貴重なものであり、かけがえのない大切なものを暗示している。

第3連で、何にも望まず、願わず、死を夢見ることから、汚れっちまった悲しみは、毛皮のような亡骸(なきがら)でなく、生きている人の悲しみであることが分かる。

第4連で、畏敬(いけい)の念を持ちながら、為すところもなく日は暮れるばかりである・・・・。余韻がいつまでも残り、いつのまに悲しみが癒される心境になるように思える。癒されない人は、初めからもう一度読んでみたらいい。否、何度でも読めばいいという風に作られている。

子供のとき、若いときそして大人になっても取り返しのきかない、言葉に言えない悲しみは誰でも経験するだろう。生きることは「仏教でいう四苦八苦しながら生きている」こととしたら、汚れっちまった悲しみとは、慈悲のようなものではないのか。 この詩は年代を超えた心象を詩の構成と比喩と日本語のリズムが溶け合っている。第一詩集「山羊の歌」の代表作であると思う。

中也は、1907年、山口県湯田の出身であり、1937年、鎌倉で死んでいる。30年の命の夭折(ようせつ)の詩人と言われる由縁である。子どもの頃神童と呼ばれた中也は、旧制中学で落第をする。父母とは反りが合わず、養祖夫母にかわいがられたと考えても無理がない。中原家は、もともとは、浄土宗の信者であったが、養祖夫母が1889年に、カソリックの信者になったという。多くの評論家の指摘を待つまでもなく、中也の詩になんらかの宗教性のあることを無視出来ないと思う。

今回、引用する詩は、中原中也全集1巻~第3巻【昭和26年4月~6月創元社発行】による。 私が中原中也の詩に、ひかれたのは、多くのファンがそうであるように思春期である。大学に入学した頃に古本屋でこの三巻に出会ったときに「オー!」と何故か中也に出会ったような感動を昨日のことのように思い出す。

その第1巻を編集した詩人中村稔は【本巻には、翻訳詩を除く、中原中也の現存する全部を収めた。……小林秀雄が言ったように、「詩の出来不出来なぞ元来この詩人には大して意味はない。それほど詩は彼の生身のようなものになっていた。どんな切れっぱしにも彼自身があった」と述べている。】

中也の詩の特徴は、色々語りつくされているが、私が今でも何気なくふっと思い出すフレーズ(切れっぱし)を書いてみる。

image1春の日の夕暮の第1連は次のように始まる。

トタンがセンベイ食べて
春の日の夕暮は穩かです
アンダースローされた灰が蒼ざめて
春の日は靜かです

ポカポカした春の夕暮にトタン屋根の上で、長閑な景色を見ていると、一陣の土ぼこりが舞い上がって過ぎ去っていく。蒼ざめてとなると思春期の不安な  んて、どんなに強くてもいつしか去りゆくものだ。そうだ。何もないかのよう「春の日は静かです。」

夏の日の歌の第1連は次のように始まる。

青い空は動かない、
雲切(くもぎれ)一つあるでない。

このフレーズは、夏が来て、空を見上げるとなぜか肩の力が抜けて、スーと気持ちを納めるフレーズである。確かに「青い空は動かない」

秋の一日の詩の第4連は、

ぽけっとに手を突込んで
路次を抜け、波止場に出でて
今日の日の魂に合ふ
布切屑(きれくず)をでも探して來よう。

将来に対する不安があり、仕事や勉強が手につかないときに、家から路地を抜けると港に出る。遠くに目をやると「魂に合ふ(母なる海に出会う)」。さあ、足元の網のくずや貝殻を拾ってでも家に帰ろうか。今でも海に行くとこの詩に元気をもらう。

夕照
丘々は、胸に手を當(あ)て
退けり。
落陽は、慈愛の色の
金のいろ。

この夕照の第1連の4行は、希望を持てないときに明日が来ることを信じさせるフレーズと言える。この詩は、慈悲と慈愛の心象風景として秀逸だと思う。

そして、山羊の歌の歌集最後の詩いのちの声の第7連は次の二行で終わる。

ゆふがた、空の下で、身一點に感じられれば、萬事 に於て文句はないのだ。

この夕照といのちの声は、一つの詩として読めるのではないか。私は、今でもその思いを否定できない。そうだそれでいいのだ。「文句はないのだ」と信じている。

中原中也は、【1932年5月、この詩集を編集した。「6月下旬、予約通知募集を出した。……十名内外の申し込みしかなかった。」1931年9月、満州事変が勃発、…「人類の背後に、はや暗雲が密集してゐる」と言い、危機感を表明している。現代詩読本‐1、中原中也:1978年思潮社刊】

詩人として確信をもったが、時代は、残念ながら中也を受け入れなかった。

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