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院長コラム

2016-01-19

院長メッセージ(28)中原中也について(2)在りし日の歌

kotobanakiuta

cyuya-yosho私にとって、この詩は、第二歌集「在りし日の歌」の中でもっとも印象に残る詩である。
中也の詩にしばしば見られる題名が詩の第一行と考えられる作品の一つと考えたい。

言葉なき歌
あれはとほいい処にあるのだけれど
当然「あれは」は、言葉なき歌を指している。
言葉なき歌とは何かを、大岡昇平(昭和4年、中原が提案した同人詩誌「白痴群」に参加をした。
後年太平洋戦争に徴兵されて、その体験を「野火」「レイテ戦記」など小説を書き、またスタンダールの研究者でもあった。)が気になることを述べている。

【当時「言葉なき歌」という題名は、メンデルスゾーンの「無言歌」Leader ohne worte及び、ヴェルネーヌの「言葉なき恋歌」Romannce sans Paroleの訳語として流布していた。中原がそれを自分の作品の題として選ぶについては、それだけの用意がなければならなかったはずである。】

言葉なき歌とは、色々な解釈があるがそのままに、言葉にできない歌でいいと考える。

第一連で、
おれは此処で待つてゐなくてはならない
此処は空気もかすかで蒼い
葱の根のやうに仄かで淡い
言葉にできない歌は、あると告げても、まだ(空気も澄みきっているが)かすかで、(葱の根ように)仄かで淡い。まるで消え入りそうだ。この時期、長男文也が呼吸器疾患で死期を彷徨っていた。3,4行目は一才頃の病児のイメージが、鮮やかに浮かんでこないだろうか。しかも各連を通じて、作為的に命のリズムが流れるようにできている。

第二連は、自分の立つ位置を再確認していないか。
詩は、儚(はかな)いのだから、急いで仕上げてはいけない。落ち着いて、取り乱してはならない。待っていれば病児の健康も回復する。待っているしかない、否待っていればいいのだと。

第三連は、
歌は、遠い彼方でまだまだ夕陽にけぶってぼんやりしている。詩のリズムは(まるで病児の呼吸の音のように)まだ弱い。けれども号笛のように太い。詩の完成を(病児の回復を)焦らないで、待っていなければならない。

第四連は
喘(あえ)ぎも平静に復し・・・詩の命であるリズムが流れて、自ずと詩は完成に向かう(当然病児もまた回復して、呼吸も穏やかになるだろう)
そして、この詩の最後は次の2行で終わる。
しかしあれは煙突の煙のやうに
とほくとほく いつまでも いつまでも茜の空にたなびいてゐた

しかし転調して、言葉にできない歌は、ここに至って、煙突の煙(おそらく黒い?)のように、茜の空に(ゆたりゆたり)たなびいていた。限りなく高く、永久にたなびくと、中也がたどりついた詩の頂点を象徴するフレーズなのだと思う。

言葉なき歌は、日本の和歌、俳句、短歌、漢詩、新体詩、現代詩よる詩歌とは、一線を画す独創性をどこに見るか。
【この詩人(中也)は一気に10数編を書き上げる才能を持っていた】と言われるが、この詩に関しては、【題として選ぶについては、それだけの用意がなければならなかったはずである】中也は多くの未発表の詩・批評や日記を残しているので、その点を検討してみたい。
1927年(昭和2年)―精神哲学の巻(中原中也全集角川書店刊)の日記をみると詩人としての確信を持っていたことが分かる。
3月21日私は人生に握手のほか、何も承認しない:この記事は、1937年5月文学界に発表した白鳥の歌と言われる「春日狂想」の最後の2行に出てくる。
ハイ、ではみなさん、ハイ、御一緒に――
テンポ正しく、握手をしませう。
6月14日:あゝ、私は何もかも分かった。科学的にでも神秘学的にも何的にも!そして今何も言えない。しかし私は知ってる、よい歌を歌うだろうと。(美とは約束である。-スタンダール。)
1930年(昭和5年)、中也が主宰した同人詩誌「白痴群」の第5号に、ボーヴル・レリアン(ヴェールレ-ヌ)翻訳を発表。1933年12月、ランボウ詩集(学校時代の詩)三笠書房刊。
更に、1934年(昭和9年6月3日書):昭和9年文学界7月発表:「詩とその伝統」:詩とはどういうものかと問われるのであろう。……詩とは、何等かの形式のリズムによる、詩心[或ひは歌心と言ってもよい]の容器である。……短歌・俳句よりも、詩はその過程がゆたりゆたりしてゐる。……
この世の中から、もののあはれを除いたら、あとはもう意味ない退屈、したがって焦燥が残るばかりであろう。それで、今假りに詩的性情を持つ一青年があったとして、家の成功せる實業家、成功せる政治家が、子供や孫、一族郎党でもゐなかったとしたら、どんなに退屈するものであるかは、一寸理解され難いのである。……即ち幸福の實質というものは、もののあはれである。

この言葉なき歌こそが、形式、リズム、言葉の持つ暗喩(あんゆ)(メタファー)から見ても言葉にできない歌を歌い切ったと言えないか。この詩は、昭和11年12月文学界に発表された。この時期は、昭和11年11月10日文也死亡、12月次男愛雅(よしまさ)誕生と子供の生死が前後している。この詩の完成は、中也の強いメンタリティが可能にしただけではない。誤解を恐れずに言うと、中也はこの言葉なき歌を、先ずフランス語で作った。そして、日本語で雑誌に発表した。そう考えるとこの詩の題名と独創性を了解できる気がする。
蛇足になるが、精神分析医フロイド(正確にはブロイラーの談話療法)の治療によって、回復した体験をO・アンナ嬢が「こころの煙突掃除」受けたというメタファーで語った有名なエピソードがある。煙突の煙に象徴されるものこそは「中也の真の心」に違いないと思う。

1936年(昭和11年)6月「ランボオ詩抄」山本書店刊行。
1937年(昭和12年)、3月10日にフロイドの精神分析法讀了。24日在りし日の歌を編纂し、小林秀雄に託した。9月25日ボードレール小伝を読む。10月22日に病死した。
翌1938年1月愛雅死亡。4月創元社より「在りし日の歌」が刊行された。

 

参考文献:
中原中也全集全3巻:1951年(昭和26年)創元社刊
中原中也全集全一巻:1960年(昭和35年)角川書店刊
中原中也全集全5巻別巻1:1968年角川書店刊
中原中也現代詩読本‐1:1978年思潮社刊

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