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院長コラム

2017-08-15

院長メッセージ(32)村上春樹(6)騎士団長殺し 第2部 遷ろうメタファ―編

第2部のメタファーとは何かを、私なりにひも解いてみようと思う。
まず第一部の次の章は、メタファーを考えるために鍵となるところである。
【5 息もこときれ。手足も冷たい
「お父さんがウィーンにいたのは、1936年から1939年にかけてだったね?」
「ああ、2年くらいいたはずだ。でもどうして行き先がウィーンだったのか、よくわからないんだ。
父の好きな画家はほとんどフランス人だったからね」・・・・・・・・・・・・
雨田具彦はどのような目的もって、この得体のしれない奇怪な男の姿、釣り合いの取れた構図を無理に崩すようなかたちで、わざわざ画面の端に画き込んだりしたのだろう?そしてだいたい、この作品になぜ 『騎士団長殺し』というタイトルがつけられたのだろう?・・・・・・・・・・・・
それから私は、はっと思い出した。モーツァルトのオペラ「ドン・ジョバンニ」だ。その冒頭に「騎士団長殺し」のシーンがあったはずだ。・・・・その主要な役目は、冒頭にドン・ジョバンニの手にかかって刺し殺されることだ。そして、最後に歩く不吉な彫像となってドン・ジョバンニの前に現れ、かれを地獄につれて行くことだ。】

文章読本(丸谷才一著中央公論社刊)によると【隠喩(メタファー)というものは、AはAであるといふかたちのもので、たとへばシェイクスピアは、「人生は歩いてゐる影だ。哀れな役者だ」(マクベス)のように使った。この等価性による処理は刺激が強くて緊張をもたらすから、詩にはふさわしいけれど、絶えず前に前に進んでゆかなければならない散文ではその機能を妨げることが多いし、特に現代日本語の散文では嫌われる】
村上春樹は、第一部で三つの親子のストーリーを紡ぎだすのに、親子関連のイデアを溢れるように出した。第二部では、イデアに変わり騎士団長というメタファーを巧みに登場させることによって、「絶えず前に前に進んでゆかなければならない散文ではその機能を妨げることが多い」欠点を生かして、家族ストーリーの幻想(ファンタジー)を創作した。これは村上春樹の独創だと思う。

M・バルマリのフロイト研究によると、
① フロイトは、誰もが認める音楽嫌いな人であったが、特にモーツァルトのドン・ジョバンニを熱愛していた。
② 騎士団長は、精神分析家フロイドの親・子関係の一つのメタファーになる。
③ フロイトの親子関係から、新しい問題提起をした。「フロイトが足を踏み入れなかった領域である精神病が、あれほど精神分析医を引き付けているのは単なる偶然だろうか・フロイトが事実上、手をつけることがなかった子供の精神分析が現在の成功を収めているということは、果たして偶然なのだろうか?」
フロイトは、1896年10月26日父ヤコブを40歳で失った時に、父を埋葬する前夜に「目を閉じられたし」という夢を見る。父の死を受け入れる作業つまり「喪(も)の仕事」としてその夢の自己分析をした。そこに母親を独占する存在としての父親への隠された敵意・嫉妬心・競争心などを自己洞察した。これが精神分析における「エディプス・コンプレックスの発見」であった。幼少児期(3~5歳頃)に母親への依存・甘えと父親への反発・抵抗に向き合うことによって初めて、6歳頃にパーソナリティを形成する。この親子間の最大の葛藤)(エディプス・コンプレックス)を解決されないままに、過ごすと後年、成人した頃に、精神不安を生じさせる。

なぜ騎士団長が親子のメタファーになるのか?
ドン・ジョバンニのオペラの趣旨は、「騎士長には、若い娘アンナがいるが、ドン・ジョバンニはアンナを誘惑する。アンナの父親である騎士長はドン・ジョバンニから娘を守るために、決闘を申し込み、返り討ちされる。最後まで、女遊びを反省しないドン・ジョバンニは、大地にぽっかり開いた穴に、疑獄の恐怖と責め苦に捕らわれながら、呑込まれ、死んでいく」というシンプルな心理的復讐劇である。
フロイトの父ヤコブ・フロイトは、妻のほかにレベッカとの結婚歴があった。フロイトは、父・母-子の葛藤を発見したが、父の女遊び、浮気なドン・ファン的な行動を知り困惑した。フロイトは、浮気な心を理解する即ち父を理解するために、悩んだ。そんな中で、ヨーロッパ人の心性をとらえているドン・ジョバンニ、フィガロの結婚、カルメンという浮気な男を主人公にしたオペラに出遭った。これらは、美男美女が、美しい音楽にのって、粋な絡み合いをする。ストーリーはシンプルで、観劇した人なら誰もが、音楽嫌いになるより、音楽好きになること請け合いである。フロイトもというべきか、オペラ好きになり、そのメロディ-を諳(そら)んじるほどであった。オペラの楽しさを受け入れたことが、いつの間に、父の行動を受け入れることになったのではなかろうか。

ジグムント・フロイトは、父・母-子の関係が、親・子の問題を超えて、男女の愛や恋の駆け引きの影響を避けられないと考えた。親(父・母)の関係と親子の関係を二重に見ると、決してシンプル(単純)なものでなくコンプレックス(複合)であることを知った。このフロイトのパーソナリティの形成期の理論は、微妙な解釈の余地を残したことから後年、多くの精神科医が、精神障害者の心性を理解するのに影響を受けたし、親子だけでなく、同胞関係の心性を理解するのに影響を受けたといっても過言ではない。

なぜ子どもの精神分析が生まれたか?
フロイトの末娘アンナ・フロイトの生活を辿って見てみよう。父フロイトの精神分析は、ウィーンで大きな一歩を踏み出した。そしてドイツでも確かな地位を得た。しかし第一次世界大戦で敗れたドイツは、1933年1月、国家社会主義ドイツ労働者党(ナチス)を率いるヒトラーがドイツ帝国首相に選ばれた。ヒトラーはユダヤ人に対してだけでなく、精神障がい者への偏見と差別を強く持っていた。フロイトのドイツにおける精神分析運動は、ヒトラーによって、1936年までに粉砕された。更に1938年3月14日ヒトラーがウィーンに侵攻する。1938年3月ゲシュタポがフロイト一家を脅迫し始めた。そして、ロンドンに娘アンナを含んだフロイト一家は、屈辱的な亡命を経験した。そして精神分析が復活するには、1945年、世界大戦の終戦まで待たねばならなかった。フロイト一家は、アメリカに亡命をして、精神分析はアメリカで再び、全盛を迎えた。

A・フロイトは、父の精神分析を子守唄のように聞き、絵本のように聞き、成長をしたに違いない。A・フロイトは、ナチスの迫害を経験して、子供が成長をするために、親子の関係だけでない、社会的自我の成り立ちの研究に向かった。
A・フロイト-ハルトマン-E・H・エリクソンなど優れた精神分析的自我心理学派は、適応論の視点から、自我の中に葛藤や不安に影響されることなく、自律的に働く健康な領域(葛藤外の自我領域)があることを発見した。このストレスや心的外傷(トラウマ)からの『自然治癒力』ともいえる精神分析的自我の発見が、子供の精神分析の扉を開いた。
フロイトの精神分析は、多様な現代精神医学の理解と治療への新しい橋を架けていたといっても言い過ぎではないと思う。

日本は、ナチス・ドイツとイタリアと三国同盟を結び、第二次世界大戦を戦い、敗れた。今、戦争を知っている人たちは、超高齢化し、戦争を知らない子供たちが、高齢化してきている。8月15日は、72回目の終戦記念日である。

この村上春樹の第二部では、現代の親子の問題、例えば、親離れ―子離れの問題、家族の多様な在り方などが、戦争を経験して、戦争を語ることなく戦後の経済復興に力を尽した世代、戦争を知らないが戦後のバブルを経験した世代、戦争も、バブルも知らない世代間のギャップにあると言いたげである。村上春樹は、騎士団長のメタファーを自由に操ることによって、世代間のこころのギャップを描き切り、新しい家族の答えを出した。
本当に、描き切ったと言えるのか?それはひとえに読み手による。一度読んでみてもいい作品であると思う。

参考文献
フロイト著作集全7巻人文書院1970年刊
幻想の起源;ジャン・ラブランシュ/J-Bポンタリス:法政大学出版局刊1996年刊
彫像の男:フロイトと父の隠された過ち:M・バルマリ著1988年哲学書房刊
フロイト家の日常生活:デレトレ・ベルテレセン著:1991年平凡社刊

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