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院長コラム

2021-03-01

院長メッセージ(45)感情のセルフケアについて(3)苦痛を伴う不安について

苦痛を伴う不安ということばを聞いて、すぐに思いうかぶことばは、胸が痛む、生き苦しい、こころ 細い、こころ痛む、心傷む、こころが悼む、切ない、寂しいなど孤立感と無力感を伴う気分ではなかろうか?

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フロイトが1917年に「悲哀とメランコリー」「Mourning and melancholia」を発表した。1970年日本語に翻訳した小此木啓吾の解説によれば、「メランコリー」はうつ病を指す。
大切なものを失った時に誰もが体験する「喪」の仕事と、うつ病を比較して両者の共通点と相違点を 考察しながら、精神分析の観点から見たうつ病の本質を論じたものである。
mourningとは「悲しみ、悲嘆」または「哀悼」「喪中」の意味であり、「喪の営みが必要となるのは 愛する人を失った場合とか、愛する人に匹敵する抽象的な概念、すなわち祖国、自由、理想などを失った場合」とされる。

この「喪」の仕事では「苦痛に満ちた気分、外界に対する関心(感心)の喪失」「新しい愛の対象をみつける能力の喪失」「死者の思い出とかかわりのないあらゆる行動の回避」など、簡単にいえば「外界が  貧困になり、空虚なものになる」という体験を味わう。
しかしこのような外界の貧困化・空虚化は、決して異常なことではない。
「わたしたちはしばらくすれば喪の仕事は終わると信じているのであり、喪の仕事がきちんと行われ〈ない〉ことのほうが、理に適わないこと、有害なことだと考えているほどなのである」。

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愛する対象を喪うことは、現代の日常生活では、配偶者との死別、事故や転居、いじめなどによる友達との別れ、失業、失恋、受験の失敗など目標の挫折、ペットの死・・・・・不安を生じる悲しみであり、その悲哀から生じてくる感情は『苦痛を伴う不快であり、苦痛に満ちた気分である。』即ち苦痛を伴う  不安と言ってもいいのではないか?
それは苦しいけれども、自分で理解もできるし、他人に説明できる。そしてこころある人や聞く耳を 持つ人と理解しあえるものと考えられる 。そこにこそうつ病から来る不安、抑うつ気分との違いがあるとフロイトは言っている。

たとえば、私の一つの「悲哀の体験」を話してみよう。
小学生の頃は、行動するのに理由はいらないし、深く考える必要もなかった。
6年生になった春に、小学校が全焼した。一学年6クラスあったが、私たちのひとクラス58名は  市立女子高の空き教室に編入した。教室には本棚にいっぱい本を入れて置いてくれた。遊ぶ場所もなく話すことも少なくなり、本を読むことしかなかった。本を読みきるとお姉さんたちは、さりげなく公立図書館で本を借りる方法を教えてくれた。


学校5~6年生の夏休みになると当時の多くの子供は、30日ほど、海水浴に行っていた。近くの船着場から、ポンポン蒸気船に乗って、行くのである。ひと夏で肩から背中にかけて、日焼けをして5回以上皮膚が剥けることが自慢であり、仲間である勲章であった。
そして犬かき(doing the paddle)からクロール(swimming the crawl) になった。何の根拠もなく「泳げる」と思った。

そんなある日、沖に向かって泳いだ。泳ぎ疲れたときに足が海底に届かず溺れた。近くにいたお兄さんが救ってくれた。「足につかまりながら,ついておいで・・・」ようやく浅瀬に立てた。海辺までたどり着いた時には、砂浜にへたり込み、砂を噛んだ。
それから「目標をつくって、泳ぐことを学んだ。」そして、海でも、川でも、プールでも本当に泳げるようになった。

その秋に、小学校生活をともにして特に5,6年は時折テニス教室に行き、夏は一緒に海で泳いだA君が川で流されて死んだという知らせを聞いた。この事件から、しばらく亡き友のことが頭から離れなくなった。とにかくボーとしているときが堪えきれなかった。死んだ友と過ごした時が浮かんできて、苦痛であった。


そんな苦痛を伴う気分は、中学校に入学しても続いた。前を向いても先の見えない生活から逃げるように軟式テニス部に入った。昭和の時代の部活は海水浴を禁じていた。土日もなく毎日毎日、テニスをして、テニスのできない昼休み、雪の降る期間は、時間つぶしにとにかく、本を読んだ。毎月何冊も読んでいた少年漫画雑誌は時間つぶしにならなかった。市立図書館にいきそれもできるだけ長編の本を探して読んだ、アムンゼン、スコット、レミゼラブル、二都物語、虚栄の市、巨人軍物語、日米プロ野球の歴史・・・・・・・・・・

高校は、将来の新しい目標もなく、不安を抱えながら、学校に通った。
そんな時に、高校の教育講演に、ロケットの世界的権威である糸川英夫先生が来られた。
『自分は、ロケットの先端研究者と紹介されましたが、違います。私が来た道は、挫折の連続でした。様々なステップを考えて、実験をしました。結果がでないと修正をしました。また考えては実験を繰り返し、また失敗しました。何度もあきらめずに、更に小さいステップを作っては進むことを繰り返しました。そのステップは、決して外からは見えないようにシールドされているのです。』
私は、将来の目標がはっきりしていても、はっきりしていなくとも努力をし続ける事を学んだ。

今振り返ってみると中学のテニスのダブルスのペアは、キャプテンシーを持っていた。私だけでなく誰に対しても、エースを取ると「ナイスショット」、ミスをしても「ドンマイ、ドンマイ」といい県大会2位という小さな成功体験をさせてくれた。彼は違う高校に進学した。またそれまで時折あった腹痛は、中学3年の秋に、急性虫垂炎の手術を受けて消えた。しかし術後、運動すると強い腹筋痛が生じていたこともあり私はテニスをやめた。

一方で、中学から、朝練もあったので、夜は10時には寝て朝6時には起きる生活習慣は高校に入学しても、続いていた。
私の悲哀の仕事は、高校1年の夏休み頃に終わりを告げた。不安は消えなかったが、不快な苦痛は、霧が消えるように感じなくなった。

参考;フロイト著作集第6巻 自我論‣不安本能論 人文書院 1970年刊

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