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理事長メッセージ

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理事長メッセージ(59) 山の思い出
2024-07-29
高山(たかやま)のいただきに登り

なにがなしに帽子をふりて

下(くだ)リ来しかな

―石川啄木

 

鳥海山



山の日が近くなると石川啄木の歌が思い出される。
 
私にとって、高山というと鳥海山になる。小学校に入学以来、通学路は何時も鳥海山に向かって歩いて行くように登校し、鳥海山を背に帰宅するようなものであった。どこに行っても、いつでも鳥海山が見守っている気がしていた。
 中学3年の夏休みに、40数人の学校登山という行事があった。当時は、鳥海山の途中までの観光道路はなく、2泊3日が普通の登山日程であった。滝の小屋で、一泊をして、お花畑を見ながら頂上を目指した。胸突き八丁は、狭い急坂で、更に山の頂きは、岩場で一人が登って、降りてくると、また登っていくことを繰り返した。頂上では青い空の下に、360度見渡せた。太平洋が見えた。日本海のはるか下には飛島が見えた。南北は、果てしなく山並みが続いた。下山は、御浜(おはま)という山小屋で、キャンプファイヤーをして、2泊目を過ごした。万年雪の雪渓を滑って遊び、帰路についた。この学校登山は、「テニスの相方も一緒で、テニスの部活が終わって、勝ち負けの緊張もなく、ただただ楽しく、ミーハー的な体験であった。」
 
後年、札幌の大学に来て、啄木の一握の砂を読み、この短歌に出会った。
そして、「なにがなしに…」登った鳥海山を思い出した。庄内地方の郷土寮に、山好きの友人がいて、夏休みに鳥海山へ二度登山を試みた。しかし、一度は滝の小屋で泊まり、頂上を目指した翌朝に雨が降り、登山道が急流になり、夕方下山した。次の年の夏休みは、一日目に河原宿(かわはらじゅく)まで登り、お花畑にテントを張り終わったら、雨が降り、斜面に濁流が覆い始めた。びしょ濡れになりながら、慌てて、河原宿の山小屋に避難をした。翌日晴れたがリーダーは、登山の準備ができてないと判断し、登頂を断念した。
  
登山に詳しい人によると鳥海山は、標高2236メートルで、晴れる日が少なく、頂上に立てることが稀であると教えられた。やはりビギナーズラックだったのだ。
 
啄木の歌の高山は、岩手山「岩鷲山(がんじゅさん)2038メートルである。この山麓の渋谷村(しぶたにむら)で育った石川啄木は、朝夕仰ぎ見た岩手山に対する思いが歌われている。山名の由来は、春に鷲状(わしじょう)の雪形が残ることからそう呼ばれているようだ。私は、庄内出身で郷土寮を庄内寮といい、岩手出身の学生は、郷土寮を巖鷲寮と呼んでいた。日の出とともに始めるソフトボールの対抗試合など交流があったものである。
 
啄木のこの歌について考えてみたい。

「なにがなしに……」は、日本語として、次の意味合いで使われる。
1.なんとなく。はっきりとした理由や原因はないが自然と。
2.とにかく。深く考えることなく。

啄木の歌には、「なにがなしに」はこの一句であり、「何がなしに」の表現は3句ある。「何となく」の表現は、1句ある。

何がなしに 

さびしくなれば出(で)てあるく男となりて

三月(みつき)にもなれり

何がなしに
 
息(いき)きれるまで駆(か)け出(だ)してみたくなりたり 
草原(くさはら)などを

何がなしに 

頭(あたま)のなかに崖(がけ)ありて

日毎(ひごと)に土のくづるるごとし

何(なに)となく汽車に乗りたく思ひしのみ

汽車を下(お)りしに 

ゆくところなし

「何がなしに」の歌には、何か心に鬱積したものがある時に「ため息のように」何かモヤモヤしたものがある時に「振り払いたい」表現と解釈しても良いように思える。「何となく」の歌には先の見えない虚しさが見えてくる。

高山(たかやま)のいただきに登りて 
なにがなしに 帽子(ぼうし)をふりて
下(くだ)り来しかな  

 
この歌には、人生の壁や、人生を振り返る場面にいるような解釈の余地のない軽さと透明感がある。
やまの自然に包まれて、なにも考えずに登って下りたと文字通りに、受け取っていいのではと思う。
ひらがなの「なにがなしに」の表現が、多く人々に、山の楽しさを追体験させる力になっているのではなかろうか?
 
一握の砂には、山を歌ったものが十数句ある。

かにかくに 渋民村(しぶたにむら)は恋しかり

おもひでの山 
おもひでの川

ふるさとの山に向ひて
言ふことなし
ふるさとの山はありがたきかな
 
山の日のある8月に、啄木の一握の砂を読んでみるのも良いのではと思う。 

残暑お見舞い申し上げます。



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