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理事長メッセージ

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理事長メッセージ(49)感情のセルフケアについて(7)自我と悲哀について
2022-03-29
2022年3月29日 院長 宗 代次

精神分析療法の378頁で「健康といいうる範囲内での神経質と神経症との区別、実用的な点だけに限られます。すなわち、その人に未だ充分に楽しんだり仕事をしたりする能力が残っているかどうかにしたがって健康か神経症かが決められます。・・・・・・

自我は自分自身の家の主人公などでは決してありえないし、自分の心情生活の中で無意識に起っていることについても、依然としてごく乏しい情報しかあたえられていないということを、この心理学的研究は証明してみせよう。・・・・・・・・」

このフロイトによる自我の研究は、大変難しいのでフロイトの娘であるアンナ・フロイトらが始めた精神分析的自我心理(せいしんぶんせきてきじがしんりがく)について考えてみたい。

例えば「八ケ月の人見知り」という言葉があります。子育てした人には聞き慣れた言葉です。精神分析的自我心理の一人であるスピッツは、8ヶ月不安という、生後8ヶ月頃の幼児が見知らぬ人に会ったときに不安を示す現象を報告した。乳幼児と母親(養育者)とのあいだの情動的なやりとりが乳幼児期の精神発達および自我形成の場として大切な一例として報告した。

一方、同じ精神分析的自我心理のボウルビィについて、中野明德は「乳児は成長するにつれて、見知らぬ人(strangers)をみると恐れを示す「見知らぬ人への恐れ」(fearofstrangers)が現れる。これは8ヶ月までに出現するので、スピッツ(Spitz,1965)は「8ヶ月不安」(eight-monthsanxiety)と名づけ、これを真の対象関係の最初の指標であり、恐怖からかの逃避ではなくて分離不安(separationanxiety)の1つだとみた。しかしボウルビィは、8ヶ月の前から見慣れた人物の弁別および愛着行動(あいちゃくこうどう)があり、見知らぬこと(strange-ness)自体が不安の原因であるとして、スピッツの分離不安説(ぶんりふあんせつ)に反対する。」と述べている。

それに対して、数学者の岡潔(おか きよし)は、文芸評論家の小林秀雄(こばやし ひでお)との対談で次のように語っている。
「順序数がわかるのは生まれてハケ月ぐらいです。その頃の子に鈴を振ってみせます。
初め振った時に「おや」というような目の色を見せる。
二度目に振って見せると、何か遠い昔を思い出すような目の色をする。
三度目を振りますと、もはや意識して、あとは何度でも振って聞かせとせがまれる。そういう区別が截然(せつぜん)とでる。そういうことで順序数を数えたらわかるだろうという意味で言っているのです。一度目、ニ度目、三度目と、まるっきり目の色が違う。おもしろいのはニ度目を聞かしたとき、遠い昔を思い出すような目の色をする。それがのちの懐かしさという情操に続くのではないか。その情操(じょうそう)が文化というものを支えているのではないか。だから生後ハケ月というのは、注目すべき時期だと思います。」

子育てに関わる多くの人たちにとって常識となって来ている「8ヶ月不安」を現在の脳科学では、次のように考えています。
一つは「誕生後一年間の視覚の発達を調べた研究者たちは、生後1ヶ月の視力がかつて報告されたよりもはるかにすぐれていること、解析度は(映像の鮮明度)は、8ヶ月までに完璧になることなどを明らかにした。」更に、「新生児の脳、神経系、五感は活発に機能している。油断なく周囲を感知し、探り、新しい経験し、かつ表現している。」
二つは、誕生した乳児は、頭(頭蓋骨ずがいこつ)が他の動物に比べて大きく生まれる。誕生すると脳は生後8ヶ月まで、驚異的なスピードで、成長し拡大する。特に視覚に関しては、広角レンズのように視野が広がって行きます。そして八カ月頃になると、脳機能に量より質的変化が生まれる。視覚は、焦点(フォーカス)出来るようになる。8ヶ月までに記憶した母親(養育者)の顔と、目の前の見知らぬ人の顔とを完璧に見分けることが視覚の発達の研究から証明されている。

岡潔は、「遠い昔を思い出すような目の色をする。それがのちの懐かしさという情操に続くのではないか。その情操じょうそうが文化というものを支えているのではないか。文化を支え続けるものは、生後8ヶ月頃なではないかと言っている。」
それに対して小林秀雄は「本居宣長(もとおりのりなが)は、もののあわれ、・・・・・・やはり情緒が基本だという説なんです。」・・・・・・・・・・・・
岡潔「理論とか体系とかは、欧米から学んだもので、以前にはなかったものです。」

岡潔の言う情操(じょうそう)とは何か?
美しいもの、すぐれたものに接して感動する、情感豊かな心。道徳的・芸術的・宗教的など、社会的価値をもった複雑な感情(デジタル大辞泉:小学館)と書いてある。
小林秀雄のいう「もののあわれ」とは何か?
あわれの日本国語大辞典によると

こころに愛着を感じるさま。いとしく思うさま。また、親愛(しんあい)の気持。
②しみじみとした風情のあるさま。情趣の深いさま。嘆賞すべきさま。
③しみじみと感慨深(かんがいぶか)いさま。感無量(かんむりょう)のさま。
④気の毒なさま。同情すべきさま。哀憐。また、思いやりのあるさま。思いやりの心。
もの悲しいさま。さびしいさま。また、悲しい気持。悲哀(ひあい)。
⑥はかなく無情なさま。無情のことわり。
⑦(神仏などの)貴いさま。ありがたいさま。
⑧殊勝(しゅしょう)なさま。感心なさま。

国語学者の大野晋は、あわれは、平安時代の文学では陽性ではない、むしろ悲しさを底に持つ感情を表すのではなかろうか?と解説をしている。
愛する対象を亡くしたときに生ずる悲哀については、日本国語大辞典によると「何となく心細い。何となく不安でさびしい」と説明している。

①平安時代の源氏物語では「藤壺(ふじつぼ)の死去に伴なう御わざなども過ぎて、こと度も静まりて、帝もの心細く思したり(薄雲)」
愛する人を亡くした人の、生きていく先行きを思う心細さを意味している。
②大宮の亡(う)せたまへりしをいと悲しと思いひしに(夕霧ゆうぎり)
この世を別れたまふ御作法(おさほう)、いみじく悲し(若菜上わかなじょう)
これらは、死に行く人や出家(しゅっけ)する人(出家することも社会的な死)への悲哀・悲しみを意味した。
③紫(むらさき)の上(うえ)は、東宮も女一の宮(おんないちのみや)もいずれも分かず、うつくしく可愛く悲しと思ひ聞こえたまえり(若菜下わかなげ)
こころに愛着を感じるさま。いとしく思うさまの悲哀の気持ちを意味している。

臨床精神医学的には、複雑な人間関係の中でセルフケアは、難しくなってきていると思う。特にことばが、カタカナ英語の氾濫(はんらん)や親子でも「親ガチャ」のような新語が生まれる、仕事場でも専門用語が交錯している・・・・・・・・共感を伴う会話は成立しにくい気がする。
わたしも、仕事において、私的な場において、お互いに通じることばを心がけて使おうと思っている。
ジョン・ボウルビィの愛着理論―その生成過程と現代的意義―中野明德別府大学大学院紀要(Bulletin of BeppuUniversityGraduateSchool).No.19(2017.03)、p.49-67

人間の建設;小林秀雄・岡潔著;新潮社・昭和53年3月31日刊

誕生を記憶するこどもたち;デーヴィッド・チェンバレン著片山陽子訳;春秋社2002年2月20日新装版刊

古典基礎語の世界 源氏物語のもののあわれ 大野晋著角川ソフィア文庫平成24年8月25日刊

文芸読本 小林秀雄 河出書房新社 昭和58年7月25日刊
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